浅い知識で、教育について語ります。

こんにちは!

実は教員免許を取ろうとしてました。non-noです!

私、大学のころ、教職課程を実際に勉強していたことがあるんですよね。

文章を書くことは好きですし、国語の成績だけはよかったので、国語の先生になれる講義を受けていましたね。

結局教員免許はとらなかったのですが、その理由はあとで話すとして、大学生のころ、本気で「自分は教師になるのか。向いているのか。」を考えていました。

教育実習に行く前に、そのことを本気で考え、「教師には今後なることはない」と思い教職課程から退いた過去があります。

そんなわけで、実際の現場は知らないですし、お世辞にもまじめに講義を受けていたわけでもない私が、浅い知識ながら思ったことを述べようと思います。

 

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なんで教師になるの??

 

私の大学は教員になる人がとても多い大学です。

周りの友人も、教師になっている人が多いです。

その中で、「どうして教師になろうと思ったの?」

と聞いたときに、しっかりした答えを返せた人がどれだけいるでしょうか。

「公務員は安定しているから」

「子どもが好きだから」

うーん、それだけ??っていう答えがほとんどでした。

もちろん、言葉にはできない、あるいはしないだけで、深く考えている人も中にはいたでしょう。

しかし、教員志望の人、そうでない人も非常に多いです。

個人的に教育っていうのは、国でも企業でも、部活でも、どんな団体でも一番と言っても過言ではない程重要だと思っています。

安定している、子どもが好き。

そのモチベーション自体は全然悪くないと思います。立派な目標といえるでしょう。

しかし、そこで止まらず、どんどん深堀することで、また違った結論や、さらなるモチベーションを見つけられるのではないかな、と思ってしまいます。

ようするに、「もったいないな」というのが私の意見なのです。

もっと深く考えれば、もっといい教師になれるし、もっといい人材を育てられるのに。

もしくは、もっといい別の職業があるかもしれないのに。

私は子どもも大好きですし、人を教えることも好きなのですが、学校という枠組みの中で、自分の思想を殺してまで教育は絶対にできないと思い、学校の先生という道はきっぱり切っています。

 

「子どもが好き」だからこそ辛い思いをすることがあるのが教師だとも思います。

好き、という気持ちより、学校という組織を大切にしなければいけないとき、親の意向を大切にしなければいけないとき、たくさんあるはずです。

それでも、学校という枠組みに入って、成長過程にある子どもたちに触れるということが、どれくらい重いことか、教師になりたいな、と思っている人には考えて欲しいなと思います。

 

「安定」こそ最大の敵

 

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「安定しているから」という理由で教師を選んでいる人は、もっと危険だと思います。

 

学校の先生は、どんなに頑張っても給料は同じです。

昇給のさせ方に若干の違いなどは生まれるようですが、抜きんでた功績がないとそんなものは微々たるものです。(そもそもことなかれ主義の公務員組織で、抜きんでた功績をあげることは至難です。)

そもそも人手不足もあり、年間の指導要領をこなすことで精一杯です。

学校の先生の教える能力は、いつまでたっても上がりません。

 

それなら、教える能力の高い塾の先生や、家庭教師をつけた方が効率的ですよね。

学校、何のために行くの??そもそも学校の勉強って何の意味があるの??

 

そんな時代はすぐそばまで来ていると思います。

学校を中退した人や、中卒の人が社会で出色の活躍をするのはなぜでしょう。

学校の受け身、かつ実践的ではない勉強ではなく、自分で進んで、実践的な勉強をしてきたからです。もう少し踏み込んで言うと、教師は学校しか組織を経験していない人も多いんです。小学校から大学まで進み、そのまま教員になるか、臨時採用教員を経て、正規の教員になるか。つまり生徒の大部分が進んでいく、一般企業は体験したことがないんです。これで一体どうして社会のことを教えられるでしょうか。

そう考えると、一度一般企業を経験してから教職に就く人のほうが、教師として魅力的ではないでしょうか。

 

教師が公務員である限り、塾などの外部の教育機関の需要は高まっていくでしょうね。

「安定」に胡坐をかいて、努力を怠った末は、学校という組織全体の退廃です。

しかし現状、教員がわざわざ自分磨きのために努力するには、あまりにモチベーションに欠けています。

一度社会に出て、企業のことを知ってから教師になるというのは、本当に素晴らしいことですし、必ず力量に差が出ると思いますが、現行のままでは、年功序列でただ遅れをとるだけです。

 

教師も、個人のスキルが求められる

 

学校では、生徒は先生を選べませんよね。

ここも大問題だと思うんですよね。

先生の力量には、当然差があります。いい先生に教えてもらえる生徒と、あまり教えるのがうまくない先生に指導される生徒の差ができてしまいますよね。

もちろん、相性もあると思いますので、生徒が先生を選べたらいいのに、と思ってしまいますね。

多くの生徒に選ばれる先生は、当然優秀である可能性が高いですよね。

上記は一例ですが、教師の能力をどんどん可視化して、待遇にも差をつけるべきというのが私の意見です。

私のよく言う、個人のスキルが重宝される時代、というのは、教員も同じだと思います。

「やりがいがあるから」という理由もよく聞きました。

先ほどの未来の延長線上の話で、このままでは、今後、学校という組織自体が軽視されるようになる可能性があります。

部活目当てだったり、恋愛や友人が目当てだったり、ただのコミュニケーションツールになってしまうのです。そんな場での先生って、いったい何を教えて、何がやりがいなんですかね。

そうならないためには、ひとりひとりの教員も、しっかり勉強して、教師全体のレベルを高くする必要があります。

全員が、教えるプロであることを自覚して、スキルの研鑽を目標に、日々の授業をこなしていかなければなりません。

そのモチベーションのためにも、給与面など、待遇に差をつけるべきだというのが、私の主張ですね。教師の評価体制とか、めちゃくちゃ難しいですけどね。

 

取っ散らかった文章になってきてますので、まとめます!

 

①なぜ教師になったのか、なりたいのかを深堀してみて欲しい

②安定に甘え、努力を怠れば、塾や家庭教師に役目を取られる

③今後、やりがいを保てるかどうかは教師全体の努力次第

 

と、まあいろいろ書きましたが、私はしょせん学校とは無関係の人間です。

この記事を現役の教師の方が読んで、「なにも現場のことを知らないくせに!」とご不快な思いをされるかもしれませんが、まあ「こんな目線で見てる外部の人もいるんだな」くらいで留めてやってください。

 

私は学生のころ、塾には一度も行かずに、学校の勉強だけでそれなりの大学まで進んでいます。塾や家庭教師を家庭の事情で付けられない子だっていくらでもいますし、学校教育、このまま廃れていってほしくないんですよね。一度は教育に携わることを考えた人間ですので、今後の学校教育を憂いているこの気持ちだけは、ご理解いただければ嬉しいです。

 

気付けばめちゃくちゃ長文に。。苦笑

今日はこのくらいにしておきます!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!