もはや敬意!!個人的に好きな野球選手について語ります!
こんにちは!
昨日の久保建英選手のミドルに興奮しました!non-noです!
私、サッカーも好きで、久保選手は本当に期待している選手なんですが、まずは一本。
18歳でのリーガ初ゴール、ほんとにすごいです!
PK奪取にも貢献しましたし、全体的な出来としてもよかったですね!
サッカーについての記事も今後機会があれば書いてみたいと思います!
しかし!今日のお題は野球についてです!笑
ずばり、個人的に好きな野球選手について語ります!
野球の記事が中日ドラゴンズについて一度語ったのみでしたので、野球記事の補填です笑
もう結論から先に言ってしまいますと、私が一番好きな野球選手は、元中日の鉄腕クローザー、岩瀬仁紀選手です!
好きっていうか敬意ですね。
一番すごいと思う点は、信頼感。
かつての中日の名監督、落合監督が岩瀬を抑えに指名したのですが、落合監督の就任期間の8年間、ほぼ通して抑えは岩瀬でした。
「岩瀬で負けたらしょうがない」
落合監督は常日頃からこう言っていました。
こんなにベンチから信頼されるクローザーなんて、そうはいないぞと。
8年の間、ずっと9回のマウンドに立ち続けたその絶対的信頼こそ、岩瀬選手のすごいところですね!
その信頼を裏付けるエピソードとしては、2007年の日本シリーズですね。
中日対日本ハムの対戦カードであり、中日の3勝1敗で迎えた第五戦。
中日先発の山井大助投手が絶好調。
なんと8回までパーフェクトに日ハム打線を抑え込んでいました。
点差は1点。
ところが9回にマウンドに上がったのは、岩瀬投手でした。
山井選手の手のマメがつぶれていたなど、いろいろな情報が飛び交い、いまだに話題に上がることも多いほどの衝撃の試合でしたが、岩瀬は一人の走者も許さず継投での完全試合を達成。いやどんなメンタルしてんねん・・。
そんな状況で交代という選択をされる時点で、落合監督含めチームからの絶対的信頼が見て取れますよね。
実は岩瀬投手、生涯日本シリーズで失点したことがないんですよね。
この時を含め、通算6度日本シリーズに出場しているのですが、1点も取られていないということです。
さすがは「死神」。
もう一つ言うなら、ケガの少なさですね。
プロ野球の抑えというポジションは、肩を作る機会が非常に多いこと、常勝チームなら勝っている試合が多く、登板数が増えてしまうことから、故障が多いポジションなんですよね。(間違いなく岩瀬選手の全盛期の中日は常勝チームでした。あの頃はよかった・・。)
その抑えとして長期間活躍し続けた証が、日本記録となっている、407の通算セーブ数と1002の通算登板数。今のところはここまで継続的に活躍し続けたクローザーはいませんね。
もしかしたら将来、横浜の山崎康晃か楽天の松井祐樹が抜く可能性はありますが、けがなくこのまま抑えとして活躍できるか楽しみです!
選手としては、サウスポーでコントロールの良さがピカ一。
いいときは膝のラインにしかボールが来ません。
そして「死神の鎌」とも称される伝家の宝刀、スライダー。
ほぼこのスライダーとナチュラルに動くストレートの出し入れだけで抑えてきたピッチャーですね。相手からすると、打てそうで打てない。そんな感覚のピッチャーだったとか。
現在では解説者として活躍中の岩瀬選手。ぜひともコーチとして中日に戻ってきてもらい、ゆくゆくは監督も、、なんて想像しちゃいますね!
せっかくなんで中日以外の選手も上げておきますね!
俊足を持ち味に、5年連続盗塁王を獲得したスピードスターです!
体格は170cmと小柄で、それを理由にプロ入りも社会人を経てのギリギリのところでした。
しかし、小柄で非力でも、生涯打率は.295。足を活かした内野安打が多かったものの、小柄でもプロ野球選手になれる。と多くの人達に希望を与えていたでしょう。
先ほど紹介した岩瀬選手とは対照的に、プロ野球の世界に在籍した期間は9年間。
その中で5度の盗塁王ですから、まさに太く短い野球人生だったということでしょう。
そのプロ野球選手として短命だった理由はケガ。
外野守備の際に外野フェンスに激突したことが原因で脊髄に損傷を追い、慢性的な体のしびれや痛みに悩まされることになります。また、ヘルニアも患っていたとのこと。
そんな中でも痛み止めを打って試合に出場していましたが、2009年の試合中にダイビングキャッチを試みた際、ヘルニアが悪化。脊髄にもさらに負担がかかることになります。
「今度同じようなことが起こったら、命の危険すらある」という医師の言葉を受け、引退を決意しました。33歳の若さでした。
引退の際、例のダイビングキャッチを試みたプレーについて、「後悔はない。野球選手の本能。ただもう少し寄って(守備位置を調整して)いたら・・。」と話しました。
根っからの野球選手やんけ・・。
きっとその若さで引退するまではさまざまな葛藤があったでしょう。
いつでも常に100%。
100%でプレイできないなら、退くのみ。ケガが原因というのは、本当に惜しいですが、その引き際は見事でした。
野球に全力をささげてきたからこそ、引退するという決断にはとてつもない重みがありました。
プレイヤーとしては、俊足と高出塁率で、リードオフマンとして活躍。
外野守備でも俊足を活かした守備範囲の広さで、阪神在籍時に二度の優勝を経験しています。赤星選手の貢献度が高かったことは、言うまでもありません。
なによりも、その全力プレーと、小さい体で大きなプレイヤーと渡り合うその姿は、見ていた多くの人達に勇気と希望を与えたと思います。
私が見てきた中で、もっともスピードがある選手ですし、引退がもっとも印象に残っている選手です。
太く短い野球人生を駆け抜けた、生粋のスピードスターでした。
いかがでしたでしょうか!
もちろんまだまだ好きな選手はたくさんいます!
少しずつでも紹介していけたらなと思うのですが、皆さんもぜひコメント欄にでも好きな選手について書いていただければと思います!
それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました!