凡庸というドラマ。天野純希さん「信長嫌い」を読んで。

こんにちは!

コロナに萎える日々。non-noです!

なんだかコロナさんのせいで本当に何にもできなくて。。

無力感と脱力感に苛まれ、一週間ブログ等お休みしてしまいました!

これも全部コロナのせいです!

悪いコトは全部コロナのせい!

 

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今日は天野純希さんの歴史小説「信長嫌い」を読了しましたので、その感想を記したいと思います!

ちなみに私は父親の影響もあり小さいころから歴史が大好きなのですが、今回は久しぶりに歴史小説を読みました。

そしてめちゃくちゃ面白かったです!

やっぱ歴史はドラマやなあ・・。

 

信長に散々な目に遭わされてきた人々の物語

 

この「信長嫌い」は信長のせいで冷遇されたり家族を失ったりと、まあひどい目に合ってきた人物たちがそれぞれ語り手となる短編集です。

織田信長、といえば皆さんどんなイメージですか??

 

新しいもの好きのカリスマで、戦をしては革新的な戦法で華々しく勝利を収めるド派手な戦国武将!

 

みたいなイメージの人も多いですよね!

近年の研究では、実は堅実な側面があったり、桶狭間の奇襲なんかも実際は兵力差は少なく、ドラマチックな大番狂わせ、というわけではなかったという説が浮上してきたりしています。

当然歴史上に残る書物は、戦に勝った方の人物の書物なので、いろいろ美化されたり脚色されたりしている可能性があるというところは常に意識しておかねばなりません。

歴史というものはもうわからないからこそ、多角的な目で見て楽しむものだと私は考えているわけですね!

そういう意味でこの「信長嫌い」というのは非常に多角的な視点から歴史を語ってくれています。単に信長に痛い目にあわされた、といっても種類は様々。

みな信長に好意は抱いていないものの、どのような経緯でそうなったか、憎しみの程度、それぞれの立場にはかなりの差があるんです。

こういった様々な視点から信長が描かれることによって、彼のいろいろな側面が見えてくる構図になるかなと。

これは信長の悪魔的なカリスマ性や、当時のまさに風雲児っぷりを如実に表現しています。

細部にいろいろ新事実はあれど、戦国時代をまたにかけ、天下の礎を築いたのは信長、という点は事実ですからね。

 

日の目を見なかった人物にもドラマがある

 

信長、という点から少し離れましょう。

今作の語り手となる人物たちは、まあマイナー武将ばかりです。

一番初めの今川義元くらいなら知っている人も多いでしょうが、そのほかはあんまり知らない人がほとんどかと。

しかし、それぞれの章がちゃんと面白いんです。

当時の悩みをそれぞれが抱え、葛藤を抱きながら自分を見つめなおしたり。

そういった構図はドラマの基本です。そこを忠実に踏まえていますが、この作品の面白いことは、それぞれに転機を与えている人物が、やはり信長だということ。

基本の中にこういった共通の転換点となる人物を当て込んでいるので、それぞれの短編につながりができ、それが奥行きを生んでいるのです。

信長という人物がこの時代を生きた人々に多大な影響を与えたことがありありと伝わってくるんですよね。

そして、ただそのあおりを受けただけの、言ってしまえば凡庸な人々にもドラマがあったんだということを思い知らせてくれます。

これはなんだか現代にも通じるものがあるな、と。

きらびやかに活躍して、その名を世間に知らしめる人だけでなく、普通に生きている人にもドラマがあるんですよね。生き方が多様化した現代ではなおさらのことだと思います。歴史はドラマ、と言いましたが、そうであれば今まさにこの時も歴史の一ページ。

我々一人一人にもドラマがあるのです。

 

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という感じの「信長嫌い」の感想でしたが、個人的にはある程度歴史を知ってる人が読んで面白い本なのではないかなと。

日本史全然詳しくないけど、信長くらいは知ってる~って人だとちょっとついて行けなかったりする部分もあるかもですね・・。

歴史小説ってことを抜きに、戦国時代を題材にした短編小説、として読めばそういう人でも楽しめるかもですが。。。

ちょっとまたいろいろ読んで、日本史初心者向けの本があれば紹介していきたいと思いますので、今後もよろしくお願いします!